カテゴリー「ぼくの『ゼロ』物語」の記事

2019年6月 3日 (月)

ぼくの『ゼロ』物語39

席研究員の水上です。

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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三島の純文学系は小生の愚頭の理解では、主人公の性格はあり得ないような設定です。うまく表現できないのですが、三島の世界では絶対的な「美」があって、その美は作り出すものという意識が強くあったように思われます。

わかりやすい語彙を選ぶと、他人の心に動じないひねくれた性格というか人格ということができるかもしれません。超人というわけではなく、「そんな人いる?」とか「そんなことある?」と思わないでもありません。

エンタテイメント系というのは推理小説とかミステリーという分野で、話の筋で読ませるものです。文学の一種に違いありませんが、ちょっと違うものと愚頭は理解しています。三島のエンタテイメント系は、筋も面白い。三島独特ともいえる情景描写は純文学系よりは、軽く手抜きしているような気がしないでもないとして、まるで絵を見ているようです。

主人公もそれほど単純ではなく、純文学系に出てくる主人公の男女をひっくり返したり、年齢を加算したり、減算したようなところがあります。

と、書いてはみたけど、あくまでも小生の愚頭の感想です。

 

 

 

 

2019年5月24日 (金)

ぼくの『ゼロ』物語38

上席研究員の水上です。

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

 

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三島は、16歳で文壇デビューして、45歳で生涯をとじるまで、作家としての活動は30年です。文庫本でしか読んでいませんが、後ろにある解説にはいろいろエピソードが書いてあります。

まず驚いたのは、酒を飲んでいても11時には絶対に切り上げて執筆の時間を確保したということ。

時間帯こそ違うにしてもサラリーマン的な過ごし方です。勤勉な作家というのはイメージしにくいのですが、ボディビルに取り組んでからも、毎日欠かさずトレーニングに励んでいたといいます。

著作の量がおそろしく多い。新潮文庫に収録されているのは『金閣寺』『仮面の告白』『豊穣の海』といったちょっととっつきにくい純文学路線の作品で、最近増刷して書店に並んでいる角川文庫は『夏子の冒険』『夜会服』『にっぽん製』といったエンタテイメント系です。

そもそも同じ作家が書いた作品かと思うほど違った趣があるのですが、もっとすごいのは純文学とエンタテイメント系を同時並行で書いていたというのですからビックリです。

躁鬱病を患っている作家の躁期と鬱期に書いた作品があって、別人かと思わせるほどのことはありますが、同時進行で筆を進めるというのですから、驚くばかりです。

 

 

 

 

 

2019年5月20日 (月)

ぼくの『ゼロ』物語37

 席研究員の水上です。

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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三島は、45歳のときに自衛隊の決起を促そうと市ヶ谷駐屯地に乗り込んで、隊員を前にむなしい激を飛ばして自決しました。軍事政権を目指そうとしていたわけでもなさそうで、今もって不可解な死です。

三島が唱えた「文化概念としての天皇」は、もちろん筆者などの愚頭では到底理解に及びません。なんとなく想像するのは、全学連との対話の中で「君たちが天皇陛下万歳と言ってくれれば、私はそちらの側にまわる」みたいなことを言っていて、天皇による全人的な統治の社会をイメージしているのではなく、神ではないにしても文化的な概念として社会に存在するのが天皇といったことでしょうか。

であれば、何も人間に象徴という難しい役目を負わせないで、時代にあわせた何かを偶像として天皇と崇めるとか、国民に三島並みの頭脳が必要ですが、概念を共通させることができればそれでもいいと思うのですが。

新天皇がまだ独身のころ、一度だけ東京駅の新幹線連絡通路ですれ違ったことがあります。警護の人にまもられていましたが、お顔がわかるくらいの距離でした。その周辺だけが違った空気だったのを感じました。そのときの感想は「これが貴種というものか!」といった感じです。

普通の親の元に生まれてよかったと改元のテレビを見ながらしみじみ思いました。

 

 

2019年5月15日 (水)

ぼくの『ゼロ』物語36

上席研究員の水上です。

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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元号が変わって「令和」になりました。テレビも改元一色でなんども皇室の行事を見た人も多いと思います。退位と即位が二日に分けて行われる国事なので、どこの局も似たような番組でしたが繰り返し繰り返し流していました。

何度も上皇様と新天皇がにこやかに手を振っているのをみると、新しい時代の祝福だけではなく、心苦しい気持ちになりました。

戦後、天皇は現人神から人間になりました(人間宣言)。上皇様は現人神から戦前にお生まれになった子ですから、途中から人間になったといってもいいでしょう。現天皇は戦後のお生まれですから、間違いなく人間です。

生まれたときから「象徴」の宿命を背負って生きているというのは、どんな気持ちになるだろうと、ふと余計なことを思ってしまったのでした。

昭和元年に生まれて、昭和45年に没した三島由紀夫は、その後期に「文化概念としての天皇」なる言葉を使いだしました。(続く)

 

 

2019年3月11日 (月)

ぼくの『ゼロ』物語35

上席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

とはいっても、やっと25巻くらいまできました。全部で100巻ですから、4分の1です。

この組み立て模型のすごいところは、片翼の骨組みが終わると、次にもう片翼ではないのです。胴体やエンジンも同時に少しずつ作っていくのです。あきさせない仕掛けでうまく考えています。

 

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三島由紀夫の本は新潮文庫で読んでいます。一番近いところで、1965年ですから、それほど昔の文体ではないのですが、ものすごく違和感というか慣れない感じがします。

 

現代文の代表は、新聞。『天声人語』(朝日新聞)の書き写しノートがあるくらいですから間違いないでしょう。どういう文体かというと句点を割と頻繁に使います。長くても2行に1回は出てきます。短文でリズム良く読ませるのが新聞文体なのです。

 

三島の文章は、新潮文庫の編集もよくないと思うのですが、修飾語が多く1センテンスが長いのは三島の個性だから仕方ないにしても、まず字が小さい、さらに改行も少ないです。現代文は3行もすると改行がくるのですが、三島の文章は平均で56行で1改行ですから、慣れるまで時間がかかります。

 

しかしたまにドキッとするような文章に出会います。今読んでいる小説にこんな文章がありました。「〇子はすこし莫迦だった」

 

同じ名前の人がいると気を損ねると思うので「〇子」にしましたが、端的というか、今の人こんなこと書きませんよね。

2019年3月 4日 (月)

ぼくの『ゼロ』物語34

上席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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LGBTという言葉は市民権を得ているようです。わが国で最初にこのカテゴリーをテーマにしたのは三島だといいます。『禁色』という小説です。ゲイという言葉の初出だといいます。

 この小説はたぶん高校生のときに読みかけて挫折した覚えがあります。当時の読み方は筋を追いかけていたので、意味がわからなかったからだと思います。

 だいたい三島の小説に共通しているのは、登場人物が多い、話の展開が4分の1くらいまでいかないとわからないところだとボクの中では思っています。小説家には、書きながら話を作っていくタイプとプロットを練りに練ってから書くタイプがいるそうですが、三島は後者のタイプだったようです。

 読者は名前を覚えて、どんな話で進んでいるか覚えておかないと、筋が見えてこないので退屈するのです。ただ、ここを越えるとなんとも味わい深いと思います。浅薄な頭脳しかありませんが、今のところの三島作品の楽しみ方です。

 

2019年2月26日 (火)

ぼくの『ゼロ』物語33

上席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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三島由紀夫の写真は、軍服のようなものを着た凛々しい姿がイメージです。ただ彼は元々身体頑健というわけではなく、運動神経がなく、体もひ弱だったそうです。そこで彼はボディビルにはまり、ボクシングにはまりきれいな肉体を手に入れたそうです。

 小説を読んでいると、筋肉に関する描写が何ページも続いたり、ボクシングの試合の描写が続いたりすることがあります。これは『鏡子の家』という小説の話ですが、それ以外にもよく出てくるのが徹底的な美男子と美女です。この描写がなんとも独特なのです。三島の美学に不可欠な要素なのですが、ひ弱な肉体の反面だったのかもしれません。

 あと時代背景も考えなければなりませんが、今、そういう表現をすると、ハラスメントといわれて指摘されそうな名詞とか形容詞が出てきます。これは映画『男はつらいよ』も同じ。いいとか悪いとはいいませんが、現代人が読むとちょっと違和感を感じます。

 

2019年2月18日 (月)

ぼくの『ゼロ』物語32

上席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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三島由紀夫は、昭和元年の生まれで昭和45年に亡くなっています。市ヶ谷の自衛隊に乗り込んで割腹自殺しました。「なぜ」「なんで」と今でも議論の対象になっています。生きた時代には、戦争があって、その後の復興があって、高度成長期の真っ盛りに事件をおこしたわけです。

 三島の著作を全部読んでもおそらくその理由はわからないものと思いますが、なんとなくそれを探しながら読んでいるような気がします。

 三島がデビューしたのは16歳。『花ざかりの森』という短編です。「才能のある人はすごい」といってしまえばそれまでですか、ほぼまったく理解できませんでした。その後東京大学に入って卒業後は旧大蔵省の官僚になります。

 ある時、大臣のスピーチ原稿を書くようにいわれ「私如きはげ頭のオヤジがまかり出まして、御挨拶を申上げるのは野暮の骨頂でありますが…」と書き出して、上司から赤鉛筆でダメ出しをくったという有名なエピソードがあります。三島は、こんなところにいては日本語が書けなくなるといって、わずか半年くらいで退職して職業作家になりました。

 才能のある人は羨ましいというか、あの豪華絢爛な文章は絶対に誰もマネできません。

 

2019年2月14日 (木)

ぼくの『ゼロ』物語31

上席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。

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昔読んだ小説を何年もたって読み直すのは、なかなかいいものです。何年もとはいってもこの年ですから、何10年もたっていることがあります。

去年の暮くらいから、三島由紀夫にはまっていて、積むと10センチ以上くらい本棚にたまっています。おそらく一番有名な『金閣寺』は、教科書にも出ていたような気がするので、読んだ経験のある人も多いと思います。

一番最初に読んだのはたしか高校生のときだったように思います。なんだか筋だけ追いかけてちっとも面白くなかったような気がします。10年くらい前にも思い立って読んだのですが、このときもあまり味わったという感じはなかったような。

最近読んでいる三島の本は、そのうち『金閣寺』も読もうとは思っているのですが、『豊穣の海』とか『禁色』といった大作です。文芸評論などあり得ない話なので、俗人の感想。「煌(きら)びやか」というか、絵を読んでいるような、といった芳醇な香りのする文章なのではないかと。

とりあえずわかったことは、筋のはっきりしたミステリーなんかだと、小生の場合はおそらく数行単位で読んでいます。三島にこの読み方は通用しません。しっかりと1行ずつ読んでいかないと味わいは伝わってきません。

たまにはこんな読書もいいもんです。

2019年2月 6日 (水)

ぼくの『ゼロ』物語30

席研究員の水上です。

 

相も変わらず、細かい作業の繰り返しです。よって、作業内容の説明は省略。
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4月から外国人の受け入れが、広く進むようですが、彼らが生活する限り、水は絶対に使うので、どんどん来てもらえばいいと思っています。

 所得がある一定額以下だと、住民税は免除されます。生活保護世帯だと健康保険料も免除になります。水は、衣食住のさらに上位の生きていく上で欠かせないモノです。健康で文化的な生活を満たす最低限のものといえます。であれば、生活保護世帯は水道代を免除するのが筋というものではないかと。

 いや、逆の考え方もあります。もし水道代を税のようなものだとすると、所得に応じた累進性をもたせてもいいのでは。同じ量の水を使っても所得が低い人ほど、料金は安く、所得が高い人は高くなるという仕組みです。

 どういうことが起きるかというと、いつぞや「貧乏人は麦を食え」とか同じように「キャベツを食え」と言った大臣がいましたが、おそらく同じようなことを言い出す政治家がいそうです。曰く「貧乏人は水道水を飲め」と。所得が高い人が水道水を嫌って、ペットボトルでどんどんお金を使うと、多少なりとも経済の循環にいい影響を与えます。逆に水道の利用料が増えると自治体の収入は増えます。

 人口減地域の水道料金に関心をもったら、こんなことを思ってしまいました。